横浜港駅とボート・トレイン・転車台「JMAものづくりポータルコラム」

■旧横浜港(よこはまみなと)駅--ボート・トレイン
 新港はもともと貨物の輸出入が増えて埠頭が足らず、それを処理する総合的な港として整備されたものだったが、貨物輸送用の鉄道路線が敷かれていることから客船・貨客船の発着にも利用されるようになった。
 ここが乗客の乗降駅として利用されたのは、明治43(1910)年に台風で東海道線の鉄道が不通になってしまったため、代替輸送として、名古屋・静岡から船で横浜に輸送されたのが最初とか。その後、大正9(1920)年7月23日付で正式に「横浜港駅」となった。
 
 この際に新港埠頭4号岸壁の脇に旅客用のプラットホームが設置され、駅の構造は、島式のプラットホームが1つ。これが復元されている。日本郵船および東洋汽船のサンフランシスコ航路(ハワイ経由もあり)出航日に合わせて乗船客と見送り客を輸送するために、東京駅から当時設けられていた貨物予選用の高島線を経由してボート・トレインが2往復運転されるようになった。現代でいえばNEXか。
 ただ、昨今の気軽に行けるNEX-成田-海外旅行と違って、外国航路は勤め人の年収ほどの費用が必要な高価な旅だったから、はるかな夢の憧れの旅だったに違いない。
 戦後、この地区は米軍に接収され、解除されたのが昭和36(1960)年。もう、そろそろ航空便が一般化しはじめていて、船便が貨物以外に活躍できる場面は減少しつつあった。臨港線自体と、貨物駅としての横浜港駅はその後も残っていたが、昭和57(1982)年に駅は廃止され、新港地区もわずかに倉庫が使われる程度になった。そして、平成5(1993)年に地域再開発で保存をめざして工事が始められ、現在の姿になった。
 
 ■蒸気機関車がバックで走る?
 という状況を調べながら、この駅、終着駅=行き止まりの駅なのにどうやって折り返していたのだろう、線路がループにもなっていない。この臨港線は最終的には山下埠頭まで伸延されていたから、横浜駅から来る時はいいが、戻るときは機関車を反転しなければならないのだが、どうしていたのだろうと、気になった。
 
 調べると、『土木学会誌』大正7年6月号に「横浜税関海陸連絡設備」という記事があるとのことで、見たらPDFが公開されている、感謝! なかに転車台と遷車台の設備計画と予算が説明されているが、転車台の内径が15フィート(4.572m)。1872年に走ったおか蒸気なら何とか載せてギリギリ転車できるが、大正~昭和にかけて走った蒸気機関車などはいずれも大型化していて車輪間の幅は7メートルを超える。転車台に乗せられないのだ。
 蒸気機関車は、運転席の後ろに石炭車をつないでいるので、バックするときは、窓から首を出さないと前(後ろ?)が見えない。横浜駅から来る時はいいが、帰るときはバックしていたのか?さぞかし運転手さんは見にくかったろうとその光景を想像する。
 
 どうやら前にご紹介した2代目横浜駅近くに設けられた貨物用の高島町駅に操車場があり、そこに転車台と扇形庫があり、そこで反転させていたらしい。それでも山下埠頭-横浜港駅-高島駅間を蒸気機関車が戻るときはバックで走っていたということになる。
 私は「てつ」ファンではないが、バックで走る蒸気機関車!は私も見たかったと思う。昭和35年8月までボート・トレインが走っていたそうだからその気になれば見られたはずだ。まあ、そういう興味がなかったのだから仕方がないが、近くにいながら見損なったのが残念でならない。

 ■転車台は、D51とともに横浜・本牧市民公園で公開
 この転車台を備えた扇形庫は、大正2(1913)年に初代横浜駅から高島町駅に移転してきたわが国最古のものとのことだが、来歴はもうひとつよく分からない。
初代横浜駅は、イコール桜木町ということになっているが、正確に言えば、2代目横浜駅が高島町にできて、初代横浜駅は「桜木町駅」となった後、すぐ東に貨物路線が作られ、「東横浜駅」が作られた。そこに設置された扇形庫・転車台とすれば、それは1872年に開業した初代横浜駅の転車台?ということか。まさかと思うが、詳細は不明。
 私は「てつ」ファンではないが、山下公園や汽車道をバックで走る蒸気機関車!は私も見たかったと思う。昭和35年8月までボート・トレインが走っていたそうだからその気になれば見られたはずだ。まあ、そういう興味がなかったのだから仕方がないが、近くにいながら見損なったのが残念でならない。私には、初耳の情報ばかりだが、「てつ」ファンの方々には先刻ご承知の情報なのかもしれません。
 この転車台は、いまは、横浜・本牧市民公園で見ることができる。枕木などが朽ち始めていて、柵で囲われているが、まじかに見られる。近くに自由に乗れるD51516も展示されているので、ご興味のある方はぜひどうぞ。
 

桜木町と汽車道、新港地区の状況。転車台はここに設置されておらず、線路がループにもなっていないことが分かる。汽車道から入ってきた蒸気機関車は、反転できず、バックで戻るしかないことが分かる。


横浜港駅ホームを復元したもので、屋根は改良。休日には多くの人がここに腰かけて休んでいる。


この転車台を備えた扇形庫は、大正2(1913)年に初代横浜駅から高島町駅に移転してきたわが国最古のものだったが、昭和63(1988)年には解体されてしまった。(神奈川新聞、1987年2月28日)
 

高島駅に設置されていた転車台が、横浜・本牧市民公園に移されている。右奥に見えるのは同時に移されたD51516機関車。

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執筆:梶文彦
写真:谷口弘幸

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