生糸をジャーディンに仰天価格で直接販売「JMAものづくりポータルコラム」

59年の横浜開港と同時に、いち早く日本にやってきた商人たちの中に、後に、ジャーディン・マセソン商会の日本支社を開設するウイリアム・ケズウィックがいた。『夜明け前』で藤村がケウスキイと書いているその人である。

「(神奈川台町)に住む英国人で、ケウスキイという男は、横浜の海岸通りに新しい商館でも建てられるまで神奈川に仮住居するという貿易商であった。・・・(中津川から様子見に来た萬屋)安兵衛らの持って行って見せた生糸の見本はケウスキイを驚かした。これほど立派な品なら何程でも買うと言うらしいが・・・糸目百匁あれば、一両で引き取ろう」というと聞いて、今度は安兵衛らが驚ろいた。
見本のつもりで持ってきた生糸は、1個(9貫33.75kg)につき130両で売れた。1斤(160匁=600g)で2.31両である。当時、諏訪の取引相場は1斤が1.45両。1個売っても、82両にしかならない。130両とは破格の値段である。

これを知った安兵衛らはあわてて国元に帰り、生糸を買い集める。そして、翌年の4月、萬屋安兵衛が手代の嘉吉を連れて生糸を持ってやってくる。神奈川台の異人屋敷で商談を行い、糸目64匁につき、金1両で取引はまとまった。1斤で換算すると、2.5両、1貫で351両と取引価格はさらにハネ上がっていた。

居留地が整備される前、外国人が住んだのが神奈川台町。絵は広重の東海道五十三次にある、神奈川台町風景である。今の横浜駅西口で、絵の中のすぐ左の海の中にいまの横浜駅がある。
横浜の開港で、国内の生糸相場も高騰した。こうして、生糸はあちこちから横浜に集まり、生糸輸出を独占していた横浜港は大きく発展することになる。


⇒広重描く東海道五十三次の「神奈川台町」。
道が東海道で、道のすぐ左に今は横浜駅がある。絵の中ほどに見える「さくらや」が、現在も営業する料亭・田中屋である。海の向こうに見える2つの小高い丘が野毛。左奥は元町・山手。

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執筆:梶文彦
写真:谷口弘幸

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