生糸商人が集まった横浜開港場――居留地の「英一番館」「JMAものづくりポータルコラム」

こうして生糸取引が話題になると、多くの商人が、国内外から横浜を目指してやって来る。翌年、1960年になると居留地が完成し、東の山下地区は外国人用に、西の半分が日本人用に販売される。

外国人用の居留地には、港から順番に1番、2番と番号を振ったが、1番地を買ったのがジャーディン・マセゾン商会のケズウィックで、ここに入母屋根の木造2階建ての商館を立て「英一番館」と名付けた。いまはシルクセンターになっているところだ。
外観は、立派なモノとは言い難かったようだが、しかし、商品の展示会が行われるなど、珍しさも手伝って、商館として大いに流行ったという。この和洋折衷の建設を請け負ったのが鹿島建設の創業者鹿島岩吉である。この初代「英一番館」は1966年に起こった豚屋火事で焼け出され、その後、立派な白亜の2代目が建てられた。跡にはいま、シルクセンターが建ち、ビルの前に記念碑が立っている。

ケズウィックに続いてバビエル(1862年)、ブレンワルド(63年)らスイス人がやってきた。それぞれ居留地に店舗を構えた。バビエルは居留地56-58番で生糸などを扱う商社を経営、自ら品質検査なども行っていた。また、ブレンワルドは、居留地90番に店を構え、生糸などの輸出の他に繊維や兵器の輸入なども行っている。


⇒英1番館跡の記念碑。
右はシルクセンター。碑の裏には桑の木が植えられている。

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執筆:梶文彦
写真:谷口弘幸

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