旧生糸検査所(横浜第二合同庁舎)「JMAものづくりポータルコラム」

 開港と同時に生糸が売れ出すと、全国から横浜に生糸が集まってくるようになる。しかし、そのうちにブームに乗った粗悪品や、品質・量目をごまかしたものなどが市場に出てくるようになり、金銭も絡んでトラブルが発生するようになってくる。
 産地によって荷姿もまちまちで、品質や量目も均一さを欠いていたため、独自の検査を行う外国商社の言いなりに支払わざるを得ないなどの弊害もでてきた。
 
 生糸を買ってもらうためには、品質をしっかり確保し、安心であることを何らかの形で保証することが求められるようになってきて、明治29(1896)年、フランスから生糸の検査法を学び検査機械を買い入れて、本町通りに生糸検査所を設立した。
 それまで、各商人同士が取引相手に品質保証をしていたが、それが、公的機関が保証するようになり、粗悪品を追放することにつながったわけである。
 輸出に際して生糸の検査が義務付けられるようになったのは昭和2年からだが、設立後は通称キーケンとよばれ、利用者も次第に増えて、取引も健全化し、これによって、生糸の品質向上が図られ、外国商社とも対等な取引ができるようになって輸出が増大していくことになった。
 
 ■鉄筋コンクリートに赤いレンガ外装
 しかし、この建物も大正12(1923)年の関東大震災で焼失したため、生糸輸出の拠点として新しい生糸検査所が、場所を現在のみなとみらい線の馬車道の上、北仲通りに移し、大正15(1926)年、検査品を保管する倉庫、帝蚕倉庫とともにつくられた。
 生糸輸出の全盛時代であり、倉庫面積を入れるとその規模は壮大、隣接する旧正金銀行とともに県下最大の建造物でもあった。1990年に横浜市指定歴史的建造物に指定されている。
 設計は、帝国大学工科大学校造家学科で建築学を学び、横浜正金銀行技師として妻木頼黄の業務を支援した遠藤於莵(おと)。で、遠藤は、当時で始めた鉄筋コンクリート工法の先駆者として知られ、後で紹介する旧三井物産横浜ビル、旧三井物産横浜支店倉庫などのビルを経験したのち、このビルを設計している。柱など、出っ張った部分にレンガを張り、凹部はコンクリートがそのままという外装である。
 後で紹介する三井物産はタイル張りなのだが、このビルもその意味で、コンクリートの上に張る材料が、タイルに代わって赤レンガだったということだ。構造ではなく、外装の意匠の違いということである。
 
 同時に建造された帝産倉庫の4棟と、生糸検査所倉庫事務所などがいずれも、鉄筋コンクリート構造の、外装に赤レンガが使われ、これらが並んだ光景は、この北仲地区一体のランドマークとなっていたが、帝産倉庫は事務所棟1棟を残して解体され、ここに民間の高層ビルが建造される。そのビルに渡り廊下で旧帝産倉庫の事務所棟が連結されるようだ。どんなふうになるのか楽しみだが、4棟あった帝産倉庫の行方が気になる。
 もともとの生糸検査所は、敷地は約5万㎡、庁舎は鉄筋コンクリート造り地下1階地上4階。屋上には噴水庭園があった。帝蚕倉庫ともども、煉瓦の重厚感がずっしりと量感を持って迫ってくる、県下最大規模の建設物で、キーケンの名で知られていた。
 平成2(1990)年に再開発が行われ、一旦取り壊されたのち、低層部に旧庁舎の外壁が復元され、平成5(1993)年6月に国の横浜第二合同庁舎としてよみがえった。
 4棟あった帝産倉庫は、事務所棟を残して解体され、新しい高層ビルが2019年秋に完成する予定。赤煉瓦の事務所棟が近代高層ビルとつながってどんな姿になるのだろうか。
 

旧生糸検査所。リニューアルされて、今は合同庁舎として使われている。馬車道と本町通りの交差点にある。裏にあった帝蚕倉庫はいま再開発中。


1階の中央に四隅の煉瓦柱が印象的な正面玄関、車寄せがあり、重厚感を出している。その装飾はカイコ、繭を連想させるデザインになっている。


正面の屋上に頭部があるが、ここに行かれた縦飾りが、羽化したカイコをモチーフにしているのは、いかにも生糸検査所らしいところだ。

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執筆:梶文彦
写真:谷口弘幸

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