旧若尾ビル(現富士ソフト横浜ビル)「JMAものづくりポータルコラム」

■ちょっと残念な復元
 明治維新を機に横浜で生糸取引が熱くなるころ、開港場に若尾幾蔵という商人がいた。
 明治初めに甲斐・甲府から東京に出てきて水晶や生糸、綿花、砂糖の取引などに携わったあと、明治8(1875)年に本町通りで独立して生糸取引業を開始。持ち前の商才を発揮して、横浜の生糸取引を大きく成長させ、業界団体の育成にも力を尽くした立役者の一人でもある。
 明治13(1880)年には横浜商法会議所設立に際して初代常議員を務めた、横浜の経済界を支えた人物でもある。
 事業は本町4丁目(当時は本町1丁目)交差点で始め、幾蔵から⇒長男(2代目幾蔵)⇒その長男若尾幾太郎・・と受け継がれ、その3代目、若尾幾太郎が大震災後の大正14(1925)年に建て変えたのがこのビルである。
 
 本町通り4丁目交差点にある若尾ビルは、横浜銀行集会所の道路を隔てた隣という絶好のロケーションで、鉄筋コンクリート造り、地上7階、地下1階。
 現在、このビルは残されていない。いまある富士ソフトビルは、平成13年(2001年)に若尾ビルが取り壊されて建て替えられたもので、その際、低層階に、若尾ビルのモチーフが一部で生かされたのだが、残念ながらもともとの若尾ビルが持っていた外壁や構造などはほとんど残されていない
 
 当時としては先端技術の工法によるタイル張りの高層ビルであり、本町通りのランドマークとして注目を集めたに違いない。当時の絵葉書などにもたびたび登場しているというから、当時としては、7階建てのビルは、地震大国日本としては摩天楼にも匹敵するような、話題になるような高さだったのだろう。
 設計は川崎鉄三。盛んにモダニズム建築を取り入れたデザイナーとして人気があり、大さん橋地区のエクスプレスビルや、昭和ビル(カスタム・ブローカービル)、インペリアルビルなどを設計した。
 
 交差点に面した角が削られて幅5メートルほどの平面が作られ、入り口が設けられていた。入口の左右には円柱がおかれ、柱頭に金具の飾りが付けられていた。壁面が、四角い大きめのタイルで、エッジにアクセントが入り、川崎のモダニズム建築の特徴がよく表れたビルであった。
 もともとのビルは、5メートルほどの外壁面が角に向いていて、交差点に正面を向けた入り口が設けられていた、とても特徴のあるビルだった。
 残念ながらその意匠はなくなってしまったが、角に1階の入り口が作られているなど、その意匠の面影が、新しいビルの1階部分にわずかに残されている。川崎のモダニズム建築の片りんをうかがうことができる。


本町通り4丁目交差点に立つ富士ソフトビル。


角は取れていないが、入口左右の円柱と柱頭飾り、フチとりされた四角いタイル・・・などの意匠が踏襲されている。

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執筆:梶文彦
写真:谷口弘幸

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