昭和ビル(旧カスタム・ブローカービル)「JMAものづくりポータルコラム」

 日本大通を横浜公園から海岸のほうに歩いてきて、県庁舎の裏、海岸通りとの交差点を、象の華パークに行く入り口の左に立つのが昭和ビル。その右に一つビルがあったが、それが解体されて、ぽっかりスペースが開いてしまった。おかげで象の鼻への入り口が広くなったが、少しおいて右に海洋会館ビルと、横浜貿易ビルと、兄弟のような4連ビルが景観を保っていたことを考えるととても寂しい。
 このビルは、もともとは隣のビルと一緒に昭和6(1931)年に建てられたビルで、鉄筋コンクリート3階建て。この昭和ビルと隣にあった大倉商事のビル(その後キッコーマンの横浜支店が入居しキッコーマンビルと呼ばれた)は、まったく同じデザインの双子ビルで、この2つのビルは渡り廊下でつながっていた。
 そして、この昭和ビル、キッコーマンビルの2つのビルを称して、かつてはカスタム・ブローカービルと呼んでいた。これでも分かるように、作られた当時は、カスタム・ブローカー(通関業者)が集まるビルとして一体に考えられていたのだ。
 キッコーマンビルは2000年に、裏にあった東西上屋倉庫とともに解体されてしまい、象の鼻パークと入り口として使われている。双子もいまは片方だけしか残されていない。
 
 ■施主の思いが伝わる4連の姉妹ビル
 大さん橋の交差点の横浜貿易協会ビルから、海洋会館、キッコーマンビルと4連のビルは、海岸通りのワンセットとして建設されたと考えられる。4つのビルを、統一デザインで完成させたというのは施主が同じだったためだろう。
 海岸通りという目立つロケーションにあるということが、こうした共通の意匠を持ってスクラッチタイルの特徴的な建物群を作るという動機になったのだろう。そう決断した大倉商事さんに拍手を送りたい。
 とはいえ、何年か経つと、地域の街のあり方も機能も変わり、ビルは所有者も変わって、そうした哲学が崩れて、無計画な状態に戻ってしまう。パリ、ローマ、ロンドン・・・の街並みが、長年変わらずに、同じ位置に同じ建物がみられることを考えると、私たちの街並みの保護の難しさを思わずにいられない。
 昭和ビルは、現在も通関業者だけではなく、オフィス複合ビルとして活用されている。ロケーションがいいためか、入りたくてもなかなか空かないとも聞く。
 モチーフが川崎鉄三の意匠で共通した、タイル外装の3つのビル、近くにあるエキスプレスビルと対比してみてみるのも面白い。
 残された3つのスクラッチタイルのビル、このまま何とか残していきたいものだ。

  県庁舎の裏、海岸通りに面して建つ昭和ビル。いまは解体されてないが、隣に双子のキッコーマンビルがあり、1階がつながっていた。右端にビル間の通路があった名残が少し残っている。

  ビルの階段室。両側の壁にはタイルが張られ、小さいけれど質の高いビルだったことが分かる。生糸を扱う貿易マンたちが忙しく生きかう往時をしのばせる。

  左のビルが昭和ビル、右が海洋会館ビル。間が空いているが、その間に双子のキッコーマンビルがあり、その裏には東西上屋倉庫があった。

  キッコーマンビルと、その裏の東西上屋倉庫が解体され、象の鼻へのアクセス口と象の鼻パークが広くなったのとがよく分かる。

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執筆:梶文彦
写真:谷口弘幸

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